プロフェッショナルなインストラクター


 私はプロフェッショナルなのだろうか?

 先日、お世話になっている大学教授のフェイスブックに、
 プロとアマについての投稿があった。
 
 「プロとアマとの間には,絶対に超えられない暗くて深い溝がある.
  それをわからずに,アマがプロのフリをするのは,
滑稽を通り越して哀れである.」

  本来の意味では、単純に、
 「その分野で生計を立てている」
 これがプロフェッショナルである。

 しかしながら、人々によるプロの評価は必ずしもそうではない。
 これも単純に、お客様の利益への貢献に対するものである。
 「クライアント インタレスト」への達成度が価値なのだ。

 この事からも、プロは
 「プロフェッショナリズム
 を、問われる事になる。


 ●スペシャリスト、エキスパート:ゼネラリスト



 たまに、プロフェッショナルとスペシャリスト、エキスパートが、
 混同されて議論されてしまう事がある。

 スペシャリストとは、特定の事に対し、知識や技術を深めた者であり、
 エキスパートは熟練者を指す。
 したがって、より専門的な経験も必要となるため、時間とコストがかかる。

 プロフェッショナルは、意識と決意、立ち振る舞いなので、新人でもできる。

 したがって、プロという言葉の定義でいうと、
 その分野で生計を立てている、プロのスペシャリストも存在すれば、
 その分野で生計を立てていない、アマのスペシャリストも存在する。

 これだけでは、お客様にとって、生計を立てていようが、いまいが、
 スペシャリストとしてのサービス提供を受けるだけなら、
 どっちだっていいことになる。言葉を悪く言うと「どうでもいい」

 ちなみに、ゼネラリストとは、役員や経営者、管理職など、
 事業家やマネジメント業を指す。
 もちろん、プロのゼネラリストも存在する。

  
 ●意外なプロフェッショナル


 
 プロというと、その生業で生計を立てる。
 したがって、利益を生むために仕事をする。
 と、思われることが多い。結果的にはそうなるけれど。

 でも、意外とそれは直接的ではなく「間接的」なのだ。

 コストと利益を一番に考えるように、会社では言われる。
 それは正しい。正論である。

 しかしながら、プロフェッショナルとは、
 クライアントインタレストファースト。
 顧客利益のために結果を出すことが大切なのである。

 そして、提供するサービスや商品は、最高品質を目指し価値を最大化する。
 そのために必要なコスト(手間ひま、費用)を惜しんではならない

 そして、結果を出さなければ、その間の労力などは決して評価されない。
 評価を期待してもいけない。必ず結果を出すことが重要である。

 要するに、提供するものは、一流を目指し、顧客利益に寄与する。
 これに尽きるわけで、価値に対し対価を頂戴し、生計を立てる

 もちろん、顧客の要望が間違っている場合や、
 モラルに反すること、安全に対しての指針に反する事は、
 決して受け入れられない。

 提供するサービスなどに、自信と誇りを持って当たる事が前提なのだ。

 したがって、
 我々の利益は、顧客満足なくして生まれる事がないのである。


 ●プロとアマは決意と覚悟が違う


 
 前述の事を考えながら事に当たっても、毎回結果が得られるものでもない。
 取り巻く環境、社会背景、顧客の要望は千変万化。
 失敗はもちろん発生するが、立ち止まるわけにもいかない。

 会社からはコストと結果をもちろん問われるわけだし、
 労力に対する価値も問われる。
 それでも、目標を高く見定め、進むしかないのだ。

 それに対する苦労も、手間ひまも、評価対象ではない。
 それでもプロセスは重要なので、自分の中でPDCAを回す。

 そうして、お客様に満足してもらえる企画を立案し、
 そのために社内で決済をもらうため、周りに理解してもらいながら、
 サービス内容を実施し、結果を残すように努力する。

 そして、結果を残し、価値に対しての対価をいただく。
 これを会社の売り上げとし、会社の目的や目標へつなげる。

 会社は複数の人間で構成される。
 いろいろな細胞が機能する「いきもの」なのだ。
 したがって、異なった意見も大切であり、それも「機能」である。

 会社はどこへ向かうのか?
 具体的に、どういう会社にしたいのか?
 これは社長と役員が、社員へ丁寧に話さなければならない。
 これができない会社は、瓦解し、淘汰される。

 その目標へ向けて、社員はそれぞれ誇りを持って「機能」する。
 売り上げは「社員」が働いて持ってくるのである。

 そのために、いかにお客様の利益を達成するか?
 その結果が会社の利益となり、社員へ分配される。

 社員にとって、会社の利益は自分の利益、
 自分の利益は「お客様の利益」なのである。

 理想と現実の狭間で、結果が出るまで諦めない「決意」
 様々なリスクを受け入れる「覚悟」
 プロフェッショナリズムを持って、事にあたる。

 それがプロとアマの違いなのだろう。

 
 ●スクーバダイビング講習のプロとアマ



 先に述べたように、アマでもスペシャリストは存在する。
 しかし、これは、担当インストラクターの経験、熟練による、
 有益な情報提供などがメインの利益となる。

 したがって、経験の浅い「アマ」のインストラクターは、
 お客様へ有益な講習ができないことになる。
 
 しかし、プロフェッショナルな講習は、そうではない。
 プロの講習は、クライアントインタレストファースト。
 包括的な、お客様の有益性がメインである。

 なので、講習品質も一流、最高を目標とし、
 ダイバー認定だけではなく、その後のダイビング活動も視野に入れ、
 そのために、コストを惜しんではいけないのである。

 そのコストは、会社が請け負うのだ。
 したがって、プロフェッショナリズムを持った、
 新人インストラクターも、トレーニングによって講習を行える。

 また、講習を行う上で、バランスが必要であり、
 認定を行うまでに、お客様の時間を頂戴し過ぎは、
 お客様の不利益となる。

 時間をかければ「コストを惜しまず丁寧」とは、ならないのである。

 包括的に捉え、最適な方法を考えて講習する。
 

 さて、この業界、スペシャリスト至上主義であり、
 極論が横行しているように見える。
 それでは、若手は自信を失くすだろうし、上を目指さない。
 

 ●手抜き講習


 
 手抜きの講習をしている!と、フェイスブックでよく見かける。
 確かに、プロとは言えないインストラクター、ショップもある。
 
 よくないことである。

 しかしながら、お客様のことを考えると、
 標準的な講習を受け、認定を受けたとしても、
 旅行先で上手に潜れないことだってある。

 人間は、環境の変化、周りからのプレッシャーに弱いのだ。

 講習では標準的に行えたことも、できなくなることがある。
 また、人の記憶は曖昧で、習った内容も忘れることだってある。

 手抜き講習を受け、不利益を受けたダイバーはかわいそうであるが、
 手抜きではなかったとしても、上手に潜れないこともある。
 
 要するに、すべて手抜き講習とは言えないのだ。

 手抜き講習は撲滅すべきだが、
 極論で人を悪く言う前に、
 自分のプロフェッショナリズムを高めるべきではないだろうか?

 ヘルスチェックや、チェックダイブ
 それによって、潜水可能か、限定的な活動に留めるか、潜水不可か。
 
 ダイビングサービスがこれに当てる余裕がない場合は、
 お客様の技術レベルではなく、サービスのキャパの問題である。

 プロとして、お客様に正しく自己認識をしてもらう。
 それは、インストラクターだけの役割ではない。
 すべてのプロダイバーの役割である。


 ●自分はプロか?



 最後に、自分自身、プロフェッショナルなのか?
 正直、まだまだだと思う。精進しなければならない。

 しかし、この業務を一生背負う「決意と覚悟」はある。
 
 あるからこそ、まだまだだと、思うのだろう。

 講習も、自分の目標や理想に対しては、まだまだ未熟である。
 
 ついでに、今の立場は「事業推進本部 本部長」
 プロの「ゼネラリスト」を目指さなければならない。
 けどね、実際は、「スペシャリスト」なんだよね。

 今の現状で、スペシャリスト集団から身を引くのは、
 誰も得をしないんぢゃないかな???
 
 やっぱり、定年まで「スペシャリスト」として、
 会社に貢献することにしよう。
 
 そうそう、本当は、プロのインストラクターは、
 潜水器材の購入を勧めるし、販売します。
 と、いうことを書きたかったんです。

 今度はそれを書こうと思います。

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